呂布奉先

中国、三国志の時代の武将(猛将)呂布奉先の人物紹介です

呂布 奉先(りょふ ほうせん)

「演義」でも「正史」とほぼ同じ事跡をたどるが、その活躍ぶりと無節操さはさらに華々しい。丁原の義理の息子であったが、董卓の部下で呂布と同郷の李粛が赤兎馬を手土産に丁原を討つよう勧めると、その言にしたがって丁原の首を取り、董卓に仕える。曹操が董卓を暗殺しようとしたときには曹操の不審さを董卓に指摘する。虎牢関の戦いでは正に「人中の呂布」の名にふさわしい活躍を見せ、諸侯の部下の勇士を何人も討ち取る。張飛、関羽、劉備が三人がかりで相手し、やっとのことで撃退できたのであった。
王允の家の歌姫であった貂蝉は『連環の計』によって董卓と呂布の仲を裂くべく、彼らの間に送り込まれる。王允の屋敷で貂蝉と出会った呂布は彼女の美貌に一目ぼれ。結婚の約束を交わすが、その後王允は董卓に貂蝉を献上し、呂布には「董卓が連れていった」と伝える。董卓は貂蝉を鳳儀亭に連れ込み、耽溺の日々を過ごす。董卓がそのせいで病気となり、呂布が見舞いに行くと貂蝉は呂布を連れ出して呂布への想いを伝えるが、董卓に見つかり呂布は董卓に戟を投げつけられる。

かくして董卓と呂布の間の溝は決定的となり、王允と相談の末、献帝の快気祝にかこつけて董卓を宮中に呼び出し、呂布は自ら董卓を刺殺した。呂布はその後真っ先に貂蝉を保護し、自分の妾とした。

李[人寉]らに敗れて長安を去り、袁術、袁紹、張楊、張[L貌]らの元を点々とし、陳宮の補佐を得て曹操が徐州遠征で留守の[亠兌]州の乗っ取りに成功する。濮陽では曹操をあと一歩のところまで追い詰めるが、結局[亠兌]州を追い出されて劉備を頼る。張飛の乱暴に乗じて徐州を奪ったこと、戟を矢で射て紀霊と劉備を停戦させたことは「演義」にも記述がある。曹操と通じた陳珪、陳登親子に振りまわされ、次第に劣勢となり、最後は部下の裏切りに遭って曹操に捕らえられ、殺される。


名実ともに三国志の世界で最強の武を誇った武将です。「演義」において彼を力でにねじ伏せるには何人もが束になって戦わなくてはなりません。虎牢関では劉備、関羽、張飛の3人が、濮陽城では夏侯惇、夏侯淵、 許[ネ者]、典韋、李典、 楽進の6人が同時に彼の相手をしました。正に桁外れの強さです。一騎打ちの描写が少ない「正史」にさえ、注に長安城での戦いで郭[シ巳] と一騎打ちをして傷を負わせたという記述があるほどです。裏切りを続けながら同郷の騎馬部隊と高順、張遼ら猛将を率いて曹操、劉備、袁術らを相手に縦横無尽に戦い続けます。

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