呂布
「馬中の赤兎、人中の呂布」で有名。三国志最強の武将。通り名:飛将軍。初め、丁原の配下で養子であったが、呂布の力量に目をつけた董卓が、呂布と同郷の李粛に名馬・赤兎馬を送り物とし丁原の陣に向かわせた。本来、物欲に弱かった呂布は、天下の名馬の贈り物に負け、丁原を殺害し、董卓配下に加わる。董卓が朝廷の重臣になるにつれ、呂布も立身を続け、奮威将軍になった。董卓は呂布の歓心を買い、丁原同様、呂布を養子とした。反董卓連合が結成され諸将は、虎牢関まで攻め入るが、虎牢関を守る呂布の前に多くの武将を失う。そして、劉備の義弟・張飛が呂布に挑戦。打ち合うこと五十合に及んだが、勝負がつかず、この間に関羽、劉備も応援に駆けつけた為、不利を悟り、逃げ去った。その後、董卓抹殺を企む王允のチョウ蝉を使った「連環の策」が発動する。チョウ蝉の色香に董卓、呂布は迷い、チョウ蝉の奪い合いで、両人は仲が悪くなった。連環の策は見事に的中し、次に王允は帝位を譲ると虚偽の勅令を出し、董卓を宮廷に呼び出す。董卓が宮殿に入ると剣を手にした兵が並び、驚いた董卓は呂布に助けを求めたが、チョウ蝉を奪った董卓に対する怒りが溜まっていた呂布は「詔だ。逆賊董卓、覚悟しろ」と一喝。矛で喉を突き刺し、董卓を殺した。呂布は二人の養父をその手で殺したのだ。しかし、董卓の死を怒った李確、郭シらの反撃に合い、単騎、長安を脱出した。呂布自身、常に天下に君臨しようという野望を抱いていたので、頼ろうとしたエン術に断られ、エン紹に殺されそうになる。結局、自立以外に道の無い呂布は、軍師・陳宮の勧めで曹操の本拠・エン州を襲撃、奪取に成功する。エン奪還を図る曹操とは一進一退したが、肝心な所で陳宮の策を採用せず、結局一敗地にまみれ、徐州・劉備を頼る。呂布を暖かく迎えた劉備は小ハイの城を守らせたが、隙をついて徐州を奪う。しかし、抜群の武勇を誇った呂布も、陳宮の忠義と才能の心も生かせず、陳珪父子の策にかかって窮地に陥る。その後、劉備・曹操連合軍と戦ったが、配下に裏切られ生け捕りにされるという形で人生に終止符を打つ事になった。最後に打首直前の陳宮が「呂布は愚かであったが、曹操、貴様のように偽り多き姦雄ではない」と捨て台詞を吐いたのが、せめてもの救いといえるであろう。


