呂布 奉先(りょふ ほうせん)
呂布 奉先(りょふ ほうせん)
曹操は徐州から引き返し、濮陽で呂布と対峙した。呂布は騎兵を率いて青州兵に突撃をかけ、曹操の陣は大混乱となった。曹操は落馬して火傷を負い、命からがら逃げ延びた。その後も濮陽で百日以上曹操と呂布は対峙したが決着はつかなかった。この頃は干ばつとイナゴの被害で人が人を食す惨状であった。 194年9月には乗氏で李進に敗れ、山陽に駐屯した。 195年春には定陶で曹操と戦って破れた。夏には薛蘭と李封 を鉅野に派遣したが曹操の攻撃に遭い、援軍に向かうも破れて薛蘭らは斬られた。再び陳宮と共に一万の兵を率いて寡兵の曹操に攻撃を掛けたが、伏兵に遭って敗退した。都合2年かけて曹操は[亠兌]州を全て奪回し、呂布は劉備を頼って徐州に落ちていった。
呂布は宴席で劉備を弟と呼び、妻の部屋にも入れるほど丁寧に接したが、劉備は呂布の言葉に一貫性が無いことから内心は不愉快に想っていた。それでも劉備は呂布を受け入れ、袁術との戦いに出かけていった。留守を預かる張飛が下[丕β]の相である 曹豹を殺害すると城中は大混乱となった。呂布はこれに乗じて城内に入り、張飛の手勢を追い払い、劉備の妻子を手に入れて城を占領した。劉備は下[丕β]に戻り、呂布に降伏した。呂布は劉備を小沛に駐屯させた。袁術が劉備の攻撃のために紀霊率いる3万の軍を差し向けると、劉備は呂布に救援を求めた。呂布は部下の反対を押し切って手兵を引き連れて劉備の元へ向かった。呂布は劉備と紀霊の双方を宴席に呼び出し、「劉備は私の弟だ。諸君が弟を苦しめているので仲裁に参った。私はもめごとの仲裁が大好きなのだ。」と言った。そして門番の兵に自分の戟を渡して門の中に立て掛けさせた。「諸君、もし私があの戟の小枝(戟は矛先に直角に枝分かれした刃が付いている、その部分のこと) を一発で射ることが出来たら戦闘を止めてもらおう。ただし一発で当たらなかったら戦闘を続けて良い。」と言い、弓を引くと果たして矢は戟の小枝に命中した。劉備側も紀霊側もこれには仰天し、「将軍は天の御威光を備えている。」といって呂布を賞賛した。翌日まで宴会が開かれ、双方は軍を退いた。
196年6月、部下の[赤β]萌が反乱を起こした。呂布は妻を引き連れて厠から塀を伝って脱出し、部下の高順の陣営まで逃げた。高順は[赤β]萌を打ち破り、[赤β]萌は部下の曹性に討ち取られた。曹性は袁術の差し金による反乱で陳宮も関わっている、と軍議の席で話した。その場にいた陳宮が顔を真っ赤にしたので一座の者は誰もがそれが事実だと感づいた。呂布は陳宮が大将であることから、このことを不問にした。
曹操は徐州から引き返し、濮陽で呂布と対峙した。呂布は騎兵を率いて青州兵に突撃をかけ、曹操の陣は大混乱となった。曹操は落馬して火傷を負い、命からがら逃げ延びた。その後も濮陽で百日以上曹操と呂布は対峙したが決着はつかなかった。この頃は干ばつとイナゴの被害で人が人を食す惨状であった。 194年9月には乗氏で李進に敗れ、山陽に駐屯した。 195年春には定陶で曹操と戦って破れた。夏には薛蘭と李封 を鉅野に派遣したが曹操の攻撃に遭い、援軍に向かうも破れて薛蘭らは斬られた。再び陳宮と共に一万の兵を率いて寡兵の曹操に攻撃を掛けたが、伏兵に遭って敗退した。都合2年かけて曹操は[亠兌]州を全て奪回し、呂布は劉備を頼って徐州に落ちていった。
呂布は宴席で劉備を弟と呼び、妻の部屋にも入れるほど丁寧に接したが、劉備は呂布の言葉に一貫性が無いことから内心は不愉快に想っていた。それでも劉備は呂布を受け入れ、袁術との戦いに出かけていった。留守を預かる張飛が下[丕β]の相である 曹豹を殺害すると城中は大混乱となった。呂布はこれに乗じて城内に入り、張飛の手勢を追い払い、劉備の妻子を手に入れて城を占領した。劉備は下[丕β]に戻り、呂布に降伏した。呂布は劉備を小沛に駐屯させた。袁術が劉備の攻撃のために紀霊率いる3万の軍を差し向けると、劉備は呂布に救援を求めた。呂布は部下の反対を押し切って手兵を引き連れて劉備の元へ向かった。呂布は劉備と紀霊の双方を宴席に呼び出し、「劉備は私の弟だ。諸君が弟を苦しめているので仲裁に参った。私はもめごとの仲裁が大好きなのだ。」と言った。そして門番の兵に自分の戟を渡して門の中に立て掛けさせた。「諸君、もし私があの戟の小枝(戟は矛先に直角に枝分かれした刃が付いている、その部分のこと) を一発で射ることが出来たら戦闘を止めてもらおう。ただし一発で当たらなかったら戦闘を続けて良い。」と言い、弓を引くと果たして矢は戟の小枝に命中した。劉備側も紀霊側もこれには仰天し、「将軍は天の御威光を備えている。」といって呂布を賞賛した。翌日まで宴会が開かれ、双方は軍を退いた。
196年6月、部下の[赤β]萌が反乱を起こした。呂布は妻を引き連れて厠から塀を伝って脱出し、部下の高順の陣営まで逃げた。高順は[赤β]萌を打ち破り、[赤β]萌は部下の曹性に討ち取られた。曹性は袁術の差し金による反乱で陳宮も関わっている、と軍議の席で話した。その場にいた陳宮が顔を真っ赤にしたので一座の者は誰もがそれが事実だと感づいた。呂布は陳宮が大将であることから、このことを不問にした。


